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限りなくエッセイに近い私小説 - ②

  • FUNAI'S EYE

コロナが始まって以来日米間を4度往復し出入国の度に12回のPCR検査を受けた。
手帳で振り返ってみると鼻に8回綿棒を突っ込まれ4回ヨダレを取られたことになっている。
そして今回3カ月振りに日本出張に向かうことになったのだが肝心の関西空港行フライトが満席で予約できない。

日本での滞在が大阪なので普段は関西空港に向けて飛ぶのだがアメリカからの直行便を出しているのがJALのみでそれも週に一便ということから全米はおろかカナダや中南米からも乗り継いでこの便を利用する乗客が多い為3か月近く前に予約を入れたのに満席で空席待ちをしても望み薄という連絡を受けこの便を諦めた。
そして羽田便に乗ることにした。

でも羽田便では到着後公共交通機関を使って大阪に移動はできないからそこで検疫を受ければ2週間の自己隔離を東京で行うということになる。
それは指定された狭いホテルの部屋に閉じ込められコンビニ弁当で2週間の生活を送ることを意味し想像するだけでも発狂寸前にまで追い込まれ過去の不遇を呪いながら酷く怒りっぽく独りごとを言い続けるような不機嫌な老人になることは明白だ。
挙句の果てには誰かに硫酸でもかけてやろうかと考えかねない、という不安からどっちみちしんどい思いをするなら翌日にレンタカーで羽田から大阪まで行ってしまおぅ、と腹を括ったのだ。
まぁ、いたって体育会系的な解決策でこの難局を乗り切ろうと考えたことになる。

因みに私自身はそれがそんなに無謀な計画だとは思っていない。
なぜなら10年ほど前まではロスの自宅からSan Joseまでの片道約600㌔を一人で運転しそれも日帰りで往復(つまり1200㌔走行)したことが何度かあり道路事情は違うとしてもこの程度の距離を片道だけでそれも到着時間も気にしなくていいのなら多分大丈夫だろうと楽観していた。

それでホテルやレンタカーの手配を大阪の本社に頼んでいたところそれを見かねた社員2人が
「社長にそんな大変な思いはさせられません(多分)。」
との思いでわざわざ前日に東京に入り当日は彼等が運転して羽田から大阪まで連れて帰ってくれることとなった。

正直なところ少し驚きそれから大いに感激した。

それはオリンピックで日本人選手が活躍したとか阪神が優勝したとかいう熱いものが目頭に一挙に集結するような刹那的な感激とは違い人肌の温もりがほんのりと胸の中に沁み入ってくるような余韻持続型の感激だ。

我々日本人は何かを頼まれるとそれこそ舐めるように行き届いたサービスで応えるという世界でも類のないほど親切な国民だ。でも決して優しくはない。
自分の周りの人や身近な人が苦しんでいる、困っている、難儀を抱えている、という時でもその人の靴を履くことがどうも苦手なのだ。
つまり頼まれない限りは自分の身を相手に置き換えて考えてみるとか行動するということが不得手なのだ。

マスクを着用したままの長時間のフライト後更に追い打ちをかけるように数時間の検疫を経て文字通り身も心もクタクタになって空港を出た時、予想もしなかったのにそこに知った顔がにこやかに出迎えてくれればそれだけで心がパッと明るくなり体も軽く感じてしまうものだ。
つまり優しさとはある程度予想された行為から生まれるものではなく常に意外性を伴うものでもある。

過去40年に亘り日米を往復するなかでこちらから日本の空港での送迎を依頼したことなど一度もない。
でもこのように私の身になって気遣われるとこれほど甘やかされてもいいものなのかな?と思う反面まぁ、私もトシなのだから体力を過信せずに甘えておこうと安易な方に流れるようになった。
それは衰えの証なのかと不安が過(よぎ)ったりもするのだが生来の気楽な性格から他人の情けは甘んじて受け入れることにした。

そして予定通り羽田便に乗り込んだ。

By Yuji (機内にて)