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限りなくエッセイに近い私小説 - ⑥

  • FUNAI'S EYE

 年末年始を息子達一家が我が家に集まり一緒に過ごすというのが近年の恒例になっていたが、今年は我が家のキッチンをリモデルしていることもあり別荘を借りてそこに集まろうということになった。
それでロスから車で7時間をかけてサンフランシスコから北へ30㌔の処にあるSan Rafaelなる町に滞在している。
私もキッチンのリモデルで騒音と埃の我が家から抜け出すことができて少しホッとしているところだ。

 貸別荘というと日本では軽井沢や蓼科など高級なイメージがあるが当地では至って一般的な普通の民家(日本人から見れば豪邸だが)を借りられるAir B&Bというシステムを利用している。
その一軒家で3世帯が1週間ほど共同で生活しているわけだが親子といえどそれぞれに独立した家庭を持っている以上それなりの家庭のやり方というかちょっとした家風などが存在する。

そんな中で我々老夫婦はやはり起床時間が早い。私は特に就寝時間も早く午後9時には夢の入口に立ち尽くし午前5時には起床する。
このSan Rafaelなるところは朝方の最低気温が2~3℃程度で相当冷え込むが起床と同時に昨夜の食器を片付け始め皆の分のコーヒーを準備してから長男一家の犬のトイレ散歩にでかける。

どんなに朝早くとも又寒くともこの犬だけは従順で眠い顔をクシャクシャにしながら笑顔で私に甘えてくる。
こっちまで尻尾を振りたくなるほど早朝からゴキゲンにさせてくれる相棒なのだ。
そして散歩が終わっても未だ誰も起きてくる気配はないので犬と私だけの朝食が始まる。

その後暫くして息子たちが起床する。
彼等はこまめにそれぞれの一家の朝食を作り子供(私にとっては孫)の面倒を見ながら朝からせっせと家事に追われている。

嫁達が起きてにこやかに朝の挨拶を交わすのは午前9時頃つまり私の起床から4時間後である。
日本流に早朝から嫁がせっせとお味噌汁など作り全員の朝ごはんの用意をして

「おはようございます、お父様。朝食のご用意はできておりますが、もしその前にお散歩に行かれるようなら外はお寒ぅございますから温かくしてお出かけくださいね。」
などという会話などは一切ない。

つまり昔流にいえばとても「良くできた嫁」とは評価し難いような二人の嫁だが別段彼女達が怠け者であるわけでもなくいばっていて男連中をアゴで使っているわけでもない。
それどころか常に不機嫌に過ごすことなく一生懸命に夕食の用意をし我々のことを気にかけてくれる。

因みに二人の嫁はアメリカのパスポートを持つが根っこはインド人と中国人である。
それに三男の彼女は韓国人だった。
よって家庭内で政治の話が出ることはまずない。
それは各々のバックボーンに対しデリケートな話題に触れてはいけない、という配慮的な理由からではなく我々が自然な家族だという意識の方が強いのだと思う。
これを人は多様性と呼ぶかもしれないがこのような人間関係が出来上がったのは一つには我が家の環境があるだろう。

 我が家には私の仕事上の客も含め多国籍の客人を受入れ大袈裟ではなく今までに延べ数百人は招いてきたと思う。ギリシャ、フランス、フィンランド、英国、クロアチア、セルビア、カナダ、インド、ケニア、プエルトリコ、エチオピア、中国、韓国、北朝鮮、オーストラリア、エルサルバドル、フィリッピン等々、それから勿論大量の日本人やアメリカ人も。

 このような環境で多様性を認め合うなどという観念は端っから無かった。
我々がその都度違った肌の色、言語、宗教、文化、性別を持つ人達の違いを受け入れようと努力していたなら多分パンクしていただろう。
私達は一人一人の相違性を受け入れるのではなく自分の中にある相手とは違う自分の独自性を消していたのではないか、と思える。

つまり多様性とは多様な相手を認めるということよりも自分が今まで持っていた或いは信じてきた独自性に疑問を持ったり捨てることで相手と対応する方が簡単なのではないだろうか。

 もっと具体的に言えば、我が家の嫁達が舅や姑よりゆっくりと朝寝するという行動に接しても「これもお国柄の違いだ!」と言う風に多様性として許容するのではなく自分の中に刷り込まれていた嫁が舅・姑の為に早朝から働き始めなければならないという日本人としての当たり前となっている思い込みを一度消してみる必要があるのではないか、ということでもある。
そうすることで見えてくる景色も自ずと違ってくる。

 だって嫁が舅や姑の顔色ばかり窺っているようなVacationが楽しいわけはないのだから。

そんなことをボンヤリ考えながら元旦の朝を独り自分で淹れたコーヒーを飲んで過ごした。

 ところで先日投稿した孫娘とのその後である。彼女の両親の懸命な説得と援護射撃それに私の更なるクリスマスプレゼント攻勢の影響もあり若干の改善がみられるような気もする。
どれほどの改善か?と聞かれれば説明に困る。

強いて例を挙げれば育毛剤をつけて毛が増えましたか?と聞かれているような気分といえばいいだろうか?
つまり希望的又楽観的には増えたような気もするがはっきりと説明できるような痕跡は見当たらない。

でも髭を剃ることだけは信念にかけてするまいという計を立てた元旦だった。

By Yuji