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限りなくエッセイに近い私小説 - ④

  • FUNAI'S EYE

私は名古屋から中央本線に乗り木曽路に沿い北上していた。
もう10月も終わろうとしているのに紅葉の兆しもなく夏を乗り切った木々の葉は落ち着きを取り戻したように柔らかい緑色を蓄え急峻な山頂に向かって広がっていた。
隣では同伴者が車窓から外を眺めながら新大阪駅で調達した駅弁(ひっぱりダコ)の蛸をあてにビールを美味そうに飲んでいる。
しかし決して艶っぽい状況ではない。50年以上も前からのつまり高校時代からの因縁の友Tだ。
我々は軽井沢に向かっているのだが2人で観光旅行に行くわけでもない。
それではどうして二人でわざわざ軽井沢に行くはめになったかと言えばそれにはきちんとした理由がある。

我々は高校時代3年間ハンドボール部にいた。指導者もいない中インターハイ予選で府のベスト8まで勝ち進み近畿大会にも出場した。
その時のキャプテンが私でTは自称副キャプテンだった。
でも彼がいなければ確実にインターハイに出場していたと今も確信している。
というのは大事な最終戦でそれまで100%得点に結びついていたサインプレーを彼は何を血迷ったのか忘れてしまって試合中ずっと間違った相手をブロックし続けその試合に完敗したからである。

ところで我々のチームにKという素晴らしいゴールキーパーがいた。
Kはこのインターハイ予選大会を通しての活躍と素質を認められ大阪国体選抜候補に選ばれたが理由あって辞退した。
その大阪選抜チームが国体で優勝したことからして彼がどれほどの選手だったかは想像できるだろう。
その彼が還暦を迎えた数か月後に血の一滴も流さず声の一片も漏らさずまるで缶ビールの栓を開けるようにシュポッとあっけなく逝った。
今から9年前のことで脳溢血により彼の命はこの軽井沢の地で尽きた。

結婚もせず子供もいないなかでの孤独死で、亡くなってから数日後に発見された。
それは一般的には不幸な死にみえるだろうが彼の人生そのものが不幸であったのかどうか私が詮索することは愚かな行為だ。
幸か不幸かは自分の心が決めるものであって決して他人が推し量るべきことではない。
不幸そうに見えていても案外幸せであったり幸せそうに見えている人でも案外不幸であったり、そう言えば私などどうも自分が幸せになるためというよりも他人から幸せに見られるために努力しているように感じることさえある。
これも愚かだ。

Kの墓参りという名目で同期の仲間が集まったわけだが墓地で後の2人のメンバーと合流した。
彼等は夫人を同伴し車でやってきた。
墓地まではご近所で暮らされているKの姉ご夫妻に案内して頂いた。
その後ご自宅で歓待されたのだが信州の素朴で心の輪郭がわれわれよりも一回りも二回りも大きい人柄に触れている間にKがここで過ごした人生が愛情に満ちた幸福なものでありその最期も決して不幸なものとは思えなくなってきた。

今回のメンバーは既に私を除く全員が定年退職している。
それぞれに選んだ道も生きてきた環境も違ってきたがそれぞれが見事に自分のペースで53年間歩み続けこの場所に辿り着いたような気がする。
自分が選んだ道を着実にそして全力で生きてきた男の自信と品性を携えて今旧友の墓前に立っている。
何故か彼らを見ているだけで自分さえも誇らしく思えてきた。

信濃の夕暮れは早かった。
暮れゆく陽は既に冬の色に変わっていた。
それはふと思い出した遠い昔、練習後に校庭から見た空とそっくりだった。

ところで因縁の相棒Tとの帰路である。
Tからのたっての願いで私達電車組は名古屋から新幹線でなく近鉄特急「ひのとり」で帰阪することになっていた。
Tが事前にすべての切符を買ってくれていた。
ところがそのチケットを改札口に入れたところピンポンという音と共に開閉機が閉まったままで通れない。
何度か試したが2人とも入場できない。
Tは度の強そうな眼鏡を切符に近づけ、にわかに声をあげて笑った。どうした?と聞くと
「特急券だけ買って乗車券買うの、忘れていました。」

By Yuji